もどる foot_linehidari.gif iconhoum1.gif  icon2133.gif foot_line.gif すすむ

第4日 荏田〜長津田 (その1)

                     歩いた距離 11.0km  2002.6.23

 

 東急田園都市線江田駅で下車する。

 荏田宿まで戻り、真福寺に来る。

 釈迦如来立像が国の重文の指定を受けているというが、見ることはできない。
 また絵が描かれた扁額が多く奉納されてかかっているが暗くてはっきり見えない。

 正門の所に舟型石に浮き彫りにされた天和2年(1682)の仁王像がある。

 石段の下には文字だけの庚申塔がある。
 これは上宿女講中が文政11年(1828)に立てたものである。
 荏田宿の入り口に下宿の婦人たちが立てた寛政5年の庚申塔があったが、
それと対になっている。
 両方とも婦人たちが立てたものであるが、この辺りは婦人が力を持っていたのか。

yagu04-01.JPG yagu04-02.JPG yagu04-03.JPG yagu04-05.JPG

 坂を下ると宿の道に出る。
 1階が「現金屋」の看板がかけてある店で、2階から上がマンションになっている
タイル張り三階建ての建物がある。「現金屋」は昔からの屋号で、6年前に来たときは
平屋の家具屋であった。

 江田の駅に戻る。

 駅から西は宅地開発で旧道がわからなくなっているので、東急線に沿って市が尾の方向に
進む。途中、線路がトンネルに入るあたりから右へ下って行く。

yagu04-06.JPG yagu04-07.JPG

 地蔵堂がある。石段の下に地蔵や
庚申塔が10基ほどある。

 庚申塔の一つには、安永4年(1775)、
江戸道、大山道と書かれ、道標を
兼ねているので、このあたりが
旧道であったことがわかる。

yagu04-08.JPG  坂を下りながら、なお左へ急な細い坂を下ると
かつての日野往還、今の横浜・上麻生線に出る。
そこに手すりに古さが感じられる屋根の大きな二階家がある。
かつて旅人宿であった「綿屋」のようである。

 その先の鶴見川を川間橋で渡る。
江戸時代末期に川間吉兵衛という人が橋をかけ、渡り賃として3文とったので「三文橋」とも
呼ばれたという。

 ここからまた青葉台にかけては、宅地開発で旧道はわからなくなっている。

 道なりに坂を上ると柿木台の医薬神社がある。小さいが、名のように病気本癒の神社である。
 昭和58年(1983)の「しょうわ」狛犬がいる。
 境内の裏の小屋掛けの中に双体道祖神地神塔がある。地神塔は左大山道と書かれ、
道標を兼ねている。

yagu04-09.JPG yagu04-11.JPG yagu04-10.JPG yagu04-12.JPG

 尾根沿いの道を行くと、青葉台駅前にでる。

もどる foot_linehidari.gif iconhoum1.gif  icon2133.gif foot_line.gif すすむ